グレコ・ローマン
ふとお邪魔した素敵なブログhttp://blueberry2008.jugem.jp/の中で、作家宮本輝氏の言葉にふれていらっしゃる。
そこから想いは子育てに発展し、長いスパンで子供の成長を見守りたい…とあった。そこで、私もずっと持ち続けていた学びへの想いを少し綴ってみたいと思う。
目に見える結果を急ぐ親、わけのわからない焦りに追い立てられる子供。受験のためのテクニックと化した日々の勉学。じっくり迷ったり比較したり、考えるための少しの時間さえそこにはない。
当然、達成感を味わう間もなく次のハードルがそびえている。
『なぜ?』という小さな火種を消さないように、知りたい、習得したいという熱いエネルギーにしていく過程が大切だと私は思う。 それが、本来あるべき学び~自学・自習~だと思っている。
例えば、こんな経験は誰にでもあるんじゃないだろうか…………
何かわからないことを調べているとき、本来の疑問の答えは見つかりめでたしめでたしなのだが、、目はその隣に書かれていることに吸い寄せられる。『ふ~んそうなんだ!』と、どんどん道草をしてしまったこと!
紙の辞書や歴史資料集などを開けたときに、よくやってしまう道草。 とても楽しい道草。先生の声なんてもはやBGMだ。 まあ、往々にして要点を聞き逃したりして後で苦い思いをするのだが、、。
一つのことに興味を持ち、自分なりにその糸を手繰り寄せていき、いろんなことが解っていく楽しさをもっと経験させてやりたいと思う。調べる前に、考える前に、あるいは不思議に思う前に、手法や答えを与えてしまうなんて。。。それはもはや学びではなく、情報としかいえないのじゃないか。
そんなに急がないと間に合わないのか…。
息子は高校二年生。受験生だ。
彼のハードルは、自らの学びのスタイルが世間一般のものと合わないところにある。
例えば理数の公式について。
ボンと公式を出され、使い方と解き方の説明があり、あとは演習三昧~~これがダメなのだ。
もくもくと湧き起こる『なぜ?』の疑問。彼は公式の成り立ちから知りたいのだ。なぜその公式が導かれたのかを心行くまで納得し、解きたいのだ。 文理にかかわらず、すべての事象、ものごとの起源、理~ことわり~を学んで初めて納得するという。回り道・道草は当たり前、労力の割には点数に現れない不幸?なタイプである。
でも、私は彼の学びを『グレコ・ローマン方式』と密かに名付けている。
小さなことも、由来をたどり起源を紐解けば、そこにアリストテレスやプラトンなど学びの達人たちがひしめく世界を垣間見ることができるのではないだろうか。ルネサンスのフレスコ画にラファエロ作『アテネの学堂』というのがある。あちこちでソフィアたちが書物を開き、ペンを走らせ、はたまた口角泡を飛ばしてディスカッションしている、様がいきいきと描かれている。彼らは思い思いのスタイルだ。中にはダ・ビンチやミケランジェロ、端の方にはラファエロ自身も描かれている。 この絵から伝わる熱いエネルギー、自由な空気、、、脳みそが微熱を持つくらいに好きな学びに打ち込みたいし、子供にも打ち込ませてやりたいものだ。
スロー結構!グレコ・ローマン万歳! 息子よ、自分スタイルを求めて求道者たれ、、。
この記事へのコメント
道草・・・・学生時代を懐かしく思い出しました。
まっすぐ進まなくても、いろいろ拾っては味わってみる余裕。。。。。それって、人生の醍醐味もありますよね。
周りを見ないで生き急いで、いつか失速するよりも、醍醐味を知っている人のほうが、強いとわたしは、思っています。
勉強のスタイルも人それぞれ・・・・・、ライブラさんのように、見守る余裕を持ちたいです。