願い
つい先日、携帯電話に関する危険性に気づいていただくお話をさせていただいた。 対象は保護者、地域の方々。
話の中では、いくつか刺激的な映像をお見せする。
子どもたちの手の中にある小さな小さな携帯電話。
通話、メール、ゲーム…
しかし一番の曲者はすぐにインターネットにつながるということ。
だから
携帯電話は いまや
《ケータイ》
《携帯インターネット端末》 という媒体になってひとり歩きをしだした。
思春期の子どもは、自分のことをもっともっと知ってほしいと思う。
友人のこともたくさん知りたいと思う。
顔をあわせている時以外にも 繋がっていたいと思う。
ケータイは大切な橋渡し。
ボタンひとつで友人だけじゃなく
見知らぬ誰とでも
世界中と繋がる。
子どもたちは すごい未来、可能性、ドキドキ感を味わう。
だけど…
どす黒い魔の手が伸びてくる足音には気づかない。
ネットの上での繋がりの脆さ、危うさ、怖さがわからない。気づいたらもうそこは底なし沼だ。
顔を見てコミュニケーションをとれなくなった子どもたち。真剣な話題は、「重い」という理由で避けてしまう。
嫌われることに非常に敏感だから、相手の嫌がることは面と向かっては口にしない。かわりに、ネットに雄弁に書き込んでいく。人間はどこかで自らの思いを吐き出すものだから… 発する言葉に
体温と 体臭と その人らしさがあることこそまさに《言霊》
もっともっと《言霊》のやりとりをさせてあげたい。
願いは つのれど 暗中模索である…。
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